詩集【中原中也】
詩の良いところは、綺麗な音とテンポと、美しく的確な言葉の選び方です。それが、現代日本語でも、古文でも、英語でも、意味がわかっても分からなくても、同じように美しく思います。
世界中の詩集に囲まれて過ごした私に、何かの素養ができるのであれば、詩集との距離感の近さからくる、言葉に対する意識だと思います。
さて、絵本より先に家にあった【中原中也】を初めて認識したのは、中也や、小林秀雄の恋人だった、【長谷川泰子】を認識した時でした。
父の仕事上、文豪その人にフォーカスを当てた本が多くあり、その中にあった関係図に、【小林秀雄】の本にも見受けられた、【長谷川泰子】氏の文字が、【中原中也】の本にもあったためです。なので、父からのお使いで、本屋へ行き何を頼まれていたか忘れた時、私の頭の中のGoogleが、詩人_長谷川泰子と入れ、中原中也を探し出せたのです。
全く社会人としては役に立たない技能が磨かれました。
日本では、中高生時代の子たちが、知らず知らずと、詩を愛していると考えます。
好きな歌手の歌詞を、授業中書いたりはしませんか?習わなくとも日常に滑り込んできている歌詞の世界。
【中原中也】は、有名すぎる『汚れちまったかなしみに』を学校で習った時のツマラナイ印象しかなく、手に取る事がありませんでした。教科書は、良いね👍の押しつけのようで私の教科書嫌いフィルターにかかってしまっていたのだと思います。教科書ではなく、ふと、今一度、『汚れちまったかなしみに』に触れると、やはり美しいのです。また、偶然に、加賀美幸子アナウンサー朗読の【中原中也詩集】を耳にした時、美しく、流れてくる言葉の配置や、言葉のチョイスに、その心の綺麗さに、安らぎました。