映画【コーダあいのうた】

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①主人公以外が、聾唖の家族の物語。

②歌が好きな主人公のシンデレラストーリー。

①【主人公以外が、聾唖の家族の物語】について。

主人公は、健常者との会話を家族のためにする日常が当たり前の環境で育ってきたヤングケアラー。

何故か最近日本で流行っているヤングケアラーという言葉。

まだ、学生である主人公は、自分を取り囲む環境は、家庭か、学校か、そして、耳の聞こえない家族と、社会を繋ぐ通訳としての役割。

ヤングケアラーは、いずれ大人になる。

家族のために、当たり前だと思っていても、誰か大人の導きが少なからず無いと、自分が社会人として自立出来なくなってしまう。

そして、主人公は、同情されたり、特別視されたりして、惨めな思いをしたく無いし、思春期だから、なおさら、普通でありたい。その事もあり、家族以外の大人が目をかけてくれる必要がある。

でも、恥ずかしかったり、惨めに思いたく無いために、他人に何と言っていいかわからない。どうせ分かってもらえないし、どうしたらいいのかわからない。

普通に過ごしたくても、時間や体力の限界があるから、どうしても、普通のティーンエイジャーと同じくは過ごせない。

主人公のルビーは、歌の才能を見出して、サポートしてくれる、音楽の先生や、兄の後押しで、自分の将来のため、社会で自立するための、一歩を踏み出す事ができた。

こんなことは、映画だから起きるのだと思う。

②【歌が好きな主人公のシンデレラストーリー】について。

役者が良いのか、わからないけれど、聾唖の方々の、人に伝えるという事の、表現の豊かさ、手話以外で伝わるノンバーバルコミュニケーションのたくみさに、凄いと思う。

最後、オーディションで主人公ルビーが歌を歌う。歌詞を手話で家族にも届くように伝えながら。

彼女が聾唖の家族から貰ったギフトは、伝えると言う思いが、健常者以上に培われている事だと思う。その才能が、卓越し、声という手段で相手の心を動かす事が出来る事だと思う。声の届け方を先生に教えてもらえた事は、彼女の映画ならではのラッキーだ。

ルビーの才能を見出す音楽の先生が「伝えたい事があれば誰でも歌える」と言う言葉があった。

そうだと思う。

それ以外の音楽は、雑音で、公害だとすら思う。

 

文化はどこまでも多様化であれ!【寅さんと、世界のキタノ】

山田洋次監督の【男はつらいよ】や、映画【釣りバカ日誌】など、昭和平成の日本庶民の娯楽は、何故、カンヌ映画祭へ招待されずに、昭和の時代には尖った日本人しか見ていない【キタノ作品】は世界から(ヨーロッパ)から、評価されるのかが、謎でした。

私の曖昧とした結論は、山田洋次監督と取り巻く映画撮影環境が目指す【日本の大衆に、喜ばれる映画作り】と、北野武監督の目指す映画【お笑いで、とことん日本庶民に媚びたから、映画では自身の美感覚を追求したい】の矢印の向かう先の違いなんだろうな。

とぼんやり思いました。

【世界の黒沢明】監督の初期作品時代は、世界の評価と、日本の評価が、戦後ということもあり、日本独特の大衆が確立していなかったから、アメリカナイズドな見方が日本庶民の味方と同一だったのかもしれない。

今、また、日本の文化が確立されてきているけれど、こんな未来に、大人になりたいと思える、文化、社会ではない。残念ながら。

乗る度に脳裏によぎる朝の通勤電車を奴隷船みたいだと、感じない社会を作りたいだけなんだ。

 

【ドライブ・マイ・カー】

ご存知、村上春樹先生原作の、アカデミー賞外国映画部門受賞の凱旋記念上映を拝見致しました。

【救いの無い日常を生きていかねばならない】現実を、ロシア戯曲を用いて、何度も何度も繰り返し諭していました。

日本でのロケ地は、地方でも、都心でも、道路が限りなく整備されており、早朝の撮影と思われる中、更に車通りもスムースで整備の行き届いたインフラをこれでもかと、見せつけてくれます。

使われていた車は赤いSAABで、90年代に流行った角ばった2ドアの美しい車でした。

過去と現在の、整備の行き届いている環境のなか、日常をなんとかやり過ごす、人々の、たまに溢れ出る感情のキビに思わず涙しました。

お洒落な日常生活を隈なく観察しているうちに、映画の世界に入っていました。

私の過ごす、私たちの過ごす鬱屈とした日常の続きのような映画なので、心は晴れません。

【生きていかなければならない】と訴える主人公が、輪をかけて、気持ちを塞いでいきます。

終始曇り空のような映画を彩っていたのは、衣食住の、派手さは無くも、上質そうなインテリアや、おそらく、製氷機ではなく、手で削っていそうな、ウィスキーの丸氷、妻に掛けるブランケットが、使い古しているけど紺色の麻だろうところ、瀬戸内を眺める宿の、古民家を今風にリノベーションした美しさ。

また、最初にも、触れましたが、日本の道路の昼夜問わずの美しさが良かったです。

道路も人生も、続いていきますが、少しでも心地よい状態を保って、進んでいく事が大切だと、日常を夫と、心地よく過ごして行こうと思います。

 

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【ベランダー】

植物女子ベランダー🪴

お花やハーブが大好きなのですが、ベランダでは育てる事が出来ないと思っておりました。f:id:Filiaprofessorestscriptor:20220327185139j:image

3種類のミント(ミントティーをフレッシュで頂くのを楽しみに)

ローズマリー(香りが素晴らしい)

ユーカリグニー(丸い葉っぱのユーカリを探しておりまして)

ミモザ(夫から貰ったミモザが無くなり、淋しくて鉢植えを購入)

ヒヤシンス

コスモス

百日草

などなど、毎日の水やりが、めんどくさくも楽しいです。

 

詩集【中原中也】

詩の良いところは、綺麗な音とテンポと、美しく的確な言葉の選び方です。それが、現代日本語でも、古文でも、英語でも、意味がわかっても分からなくても、同じように美しく思います。

世界中の詩集に囲まれて過ごした私に、何かの素養ができるのであれば、詩集との距離感の近さからくる、言葉に対する意識だと思います。

さて、絵本より先に家にあった【中原中也】を初めて認識したのは、中也や、小林秀雄の恋人だった、【長谷川泰子】を認識した時でした。

父の仕事上、文豪その人にフォーカスを当てた本が多くあり、その中にあった関係図に、【小林秀雄】の本にも見受けられた、【長谷川泰子】氏の文字が、【中原中也】の本にもあったためです。なので、父からのお使いで、本屋へ行き何を頼まれていたか忘れた時、私の頭の中のGoogleが、詩人_長谷川泰子と入れ、中原中也を探し出せたのです。

全く社会人としては役に立たない技能が磨かれました。

日本では、中高生時代の子たちが、知らず知らずと、詩を愛していると考えます。

好きな歌手の歌詞を、授業中書いたりはしませんか?習わなくとも日常に滑り込んできている歌詞の世界。

中原中也】は、有名すぎる『汚れちまったかなしみに』を学校で習った時のツマラナイ印象しかなく、手に取る事がありませんでした。教科書は、良いね👍の押しつけのようで私の教科書嫌いフィルターにかかってしまっていたのだと思います。教科書ではなく、ふと、今一度、『汚れちまったかなしみに』に触れると、やはり美しいのです。また、偶然に、加賀美幸子アナウンサー朗読の【中原中也詩集】を耳にした時、美しく、流れてくる言葉の配置や、言葉のチョイスに、その心の綺麗さに、安らぎました。