【悔しさと憧れ-私を動かす力】
【僕は勉強が出来ない】ではなく、【私は英語が出来る】
何故義務教育以外に特別な何かをしなければ、英語を読み書きと海外のアッパークラスの方と話せる事に驚かれる事がずっと疑問だった。
でも、最近母と話していたら、我が家が他の家とは違う環境だった事に気がついた。
家での日常では七ヶ国語話す父のしわざか、色んな言語が流れており、ラジオから流れるニュースは、何処の番組かは分からないけれど、英語のニュースが多かった。NHKの流す英語のニュースは直ぐに分かる。何故なら、日本語で既にニュースの内容を知っているものばかりだったから。
小学生の頃、私は覚えていないのだけれど、児童書の英語訳に応募していたようだ。
何故覚えていないのだろう。家にある古い絵本ではなく、新しく父と買いに行ったらしいので、覚えているはずなのに。
叔母の家へ行けば、CableTVで、BBCなどのニュースがずっと付けてあった。
それは普通なのかと思っていたが、今思うと、叔母は英語の通訳だった。
社会に出ると、TOEICの点数の重要性を思い知る。学生時代を過ぎても全くTOEICテストを受けた事が無かった。
【TOEICの点数さえ高ければ、説得力に繋がる。】
今までの理不尽さが減ると期待した。
ただ一つ、私には人に話さない、話してもどうにかしてくれると思えない弱点がある。
大学受験のテスト中から、【読む】と言う事が難しくなっていた。
日本語も、英語も。
1行1行、ラテン語を読み解くような困難さや疲労感を伴っていた。
おそらく、治りかけるまで10年間は掛かっている。
理由は、分からない。
あるとすれば、父を亡くし、鬱になっていたのかもしれない。
その時の私は鬱という知識が無かった。
理由なんてなんだっていい。
ただ、治りかけている今、私はTOEICテスト勉強をし、850以上を取る事だけ。
職場で、無能な方に馬鹿にされ、悔しくて、悔しくて、悔しくて。
私は数字で示す事にした。
ただ、それだけのこと。