【存在するだけで尊いと、父を思う】
病気で他界した父。
私が高校生のときです。
後に植物状態になってしまうが生命維持を続けるのか、呼吸が出来なくなる段階をもって命を全うしたとするのかを、今は分かりませんが、当時は本人が選べていました。
幸いにも、父は日本の法律に精通していたため、自筆できない遺言に、自作の漢詩を添えました。
血の繋がる親戚中が、私の意見なら父は聴くからと、まだ高校生だった私に、父に息をしつづけ生きる選択をするように話すべきだと強いに来ました。
ですが、父の死は、父が決めた事であり、私は父の意見や考えを尊重したいと未熟ながら、未熟なりによく考えて、【(私たちが心強く生活するために)生きて欲しい】と言う話はしませんでした。
どちらに転んでも、父が溺愛した娘の私に、命の選択を任され、父の死後、親戚中から冷たくあしらわれました。
高校生ながら【冷たくあしらわれる】と言う言葉通りの態度はどういうものかを知りました。
【人は、何も出来なくても、息をしていてくれるだけで、周りの家族を安心させてくれます。】
当時実感した、その言葉を
今の自分が受け入れられるようになれたらいいなと、思っています。